「君たちはどう生きるか」吉野源三郎

青森県十和田市の「乙女の像」
すっくとした十和田湖の「乙女の像」

「君たちはどう生きるか」(1937年)吉野源三郎

1937年に書かれた児童書ですが、数年前に漫画版が大ヒットしました。そして先週、本書に影響を受けたスタジオ・ジブリの同名の新作映画が公開されました。読むなら今しかないと、借りてまいりました!

どうして文学者ってこう、心がぎゅーっとなるシチュエーションを切り出せるんですかね。普段から、感情を揺さぶられる瞬間を書き留めているんでしょうか。読んでいて胸が苦しくなり、3回泣きました。別に泣けばいいっていうものではないんですが。笑

主人公のコペル君、本名本田潤一君は旧制中学2年の15歳。聡明で友達にも恵まれていますが、学校で暴力の現場を目撃しながら声を上げられず、自己嫌悪に陥ってしまいます。立ち向かわなくては行けないとわかっているのに、自分可愛さに怖くて逃げてしまい、己の卑怯さを突きつけられる。誰でも経験したことのある、いやーな感覚が、ゾワゾワっと迫ってきます。その後のコペル君の悔恨や、言い訳を考える描写はページをめくるのが辛かったです。

落ち込むコペル君を励ますお母さんの優しさや、貧しくも逞しく生きる級友の姿など、良い意味でも締め付けられる場面がたくさんありました。コペル君は叔父さんとのやりとりを通じて自ら取るべき行動を決めるのですが、これを読んだら「正しく生きたい=悔いなく堂々と生きたい」と思わざるを得ません。個人的に、道徳に偏った小説は好きではなく、本書もやや理想主義にすぎると感じた部分はありました。しかし、感性豊かなコペル君の視点を通して見ると、そうした内容が比較的抵抗なく、すっと入ってくるんです。

少し飛躍します。何年か前にミュージカル「レ・ミゼラブル」を観た時も、似たことを思いました。舞台は19世紀フランで、貧困に苦しむ民たちが暴動を起こすのですが、鎮圧されてしまいます。激動の時代に、主人公のジャン・バルジャンは自らの正義に従って真っ直ぐに生きます。その姿を見て、圧政の象徴でもある敵役の警察官ジャベールは、自分を信じられなくなる。人は運命に翻弄される小さな存在だけれども、それを受け入れいかに生きるべきか。観終わったあとも深く考えさせられました。その後、小説も読みましたが、なぜかそこまでの感動はありませんでした。

「君たちはー」の話に戻りますと、90年近く前の生活と、現代との相違も面白かったです。15歳のコペル君が一生懸命新聞を読んでいたり、早慶戦の実況中継を録音したレコードを聴くことが子供達の娯楽であったり。親や、学校の上級生に対するリスペクトも今より深くて、新鮮でした。ナポレオンに傾倒する、幼馴染のお姉さん・かつ子さんもなかなかぶっ飛んでいました。

30代でも楽しめる内容でしたが、願わくば10代で読みたかったです。

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